幼い頃の私は、「南無阿弥陀仏」というお念仏を呪文だと思っていました。後に、僧侶となって阿弥陀さまのみ教えを学んだとき、「そうではなかった。たいへんな間違いをしていた。」と気づかされました。先日、ある一通の短い手紙からあらためて深く味あわせていただくご縁をいただきました。
その手紙とは、紙に手書きで無造作にたった三文字『あ・な・た』と書いてあるだけでした。
もし皆さんがこの手紙をいただかれたとしたら、どのように思われることでしょう。
この手紙をいただかれた方は涙を流し喜ばれ、周囲におられた方々も涙せずにはおられなかったそうです。
この手紙といいますのは、今から40年ほど前、南極越冬隊員のお方がお連れ合いさんからいただかれた手紙です。隊員の方はいのちがけの厳しい生活でありまして、日本に残して来た家族の方から打電されてくる電報、受信したものを手書き“手紙”こそが、いのちの支えでありました。電話も郵便もなく、通信手段は唯一電報のみです。
しかし、費用は家族負担ですので、文字数を多く使用することや、頻繁にやりとりすることもままなりません。そこで彼女が考えに考えて選ばれた言葉こそが、この三文字なのです。
この三文字には、幾つも続く彼女の言い尽くせない膨大思いが込められているのです。
「あなた、お元気でしょうか・・・・」
「あなた、家族は元気です。」
「あなた、どうぞ無事にお帰えりください」
などなど・・・。
相手を思う気持ちが満載されている三文字です。
私はこの三文字の「手紙」を六字の「南無阿弥陀仏」と聞かせていただきます。
阿弥陀さまは私に、「決して一人ぼっちにはしない。そのためにいつでもどこでもどんなときも一緒にいる。ひとりぼっちにしないようにはたらいているからね」と、南無阿弥陀仏のお念仏となって、この私を喚び続けてくださっています。私たちが称えさせていただいているお念仏は決して呪文ではありません。阿弥陀さまの慈しみの心・はぐくみのはたらき、お慈悲いっぱいのはたらきそのものでありました。手紙を心の依りどころに精いっぱい職務に励まれた隊員のように、阿弥陀さまの「願い」と「はたらき」を知らされたこの私も、毎日の日暮らしを大事にしたいと思います。
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